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「問題」が必要な理由

ずっと以前、首・肩から背中の執拗な凝りからずっと続いていた頭痛が
整体を受けて劇的に消えたことがありました。

友人と会話をした際、そのことを話して
「まあ、またいつ頭痛が戻ってくるかと思うと恐怖だけどね」
とつぶやいたら、
友人はけげんな顔をしてこう言ったのです。

「今、頭痛がないのに、どうしてあなたはまだ頭痛の話をしているのだ」

いまだにその一言を覚えています。

何かの問題(もしくは症状)に悩んでいるとして。
その「問題」に焦点を当て続ける限り、
それはなくならず、それどころかかえって大きくなってしまったりします。

そして、それに焦点を当て続けているのは
ほかならぬ「自分の意志」でしかないのです。

そこで、知りたかったのは
どうして私は「頭痛」を手放したくないのだろう。
ということでした。

もちろん、また後日頭痛がするかしないかはその時点ではわかりません。
ただ、その瞬間は、もう頭痛というものは感じていないんです。
それをただ受け入れて楽しむことよりも
すでに去ってしまった「頭痛」をあくまでも自分の中にとどめておこうと
している自分に気が付いた瞬間とても興味を惹かれました。

きっとその時の自分には「頭痛がすること」が何かの形で自分に必要なこと、
自分の中の何かを補完するものであった可能性が十分あると考えています。

逆にその問題(この場合は頭痛)が全くなかったら、自分は何が困るんだろう
とも考えました。

その時、自分なりに出した推測が正しかったかどうか、さえも
実はまだわからないのですが、

それ以来、自分が「問題」と思うものに直面した場合、
そしてそれが何回も同じ系統の「問題」であったりするときには特に、

私はなぜこの「問題」を必要としているのだろう。
これを手放すと何が起こりそうで怖いのだろう。

と出来るだけ(気づいた限りで、ですが)自問自答をしています。

そうするほうが、「問題」そのものに焦点を当てて解決を図るより
ずっと楽になる近道のような気がしています。

グリーン



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